2008年12月23日火曜日

やったことの2割も書き残せていない

研究でやったことは、論文にしなければ、たとえ隠れてやっていたとしても、やってないことになってしまいます。HarvardのWhitesidesも以下のように、
If your research does not generate papars, it might just as well not have been done. "Interesting and unpublished" is equivalent to "non-existent".
論文を出していないと、研究は存在しない扱いになると言っています。せっかく、世界に先駆けてやったことがたくさんあるので、やったという証拠を残しておきたいものです。実験をやったという証拠がないと、研究成果の証明にはなりません。

ということで、やったことは、論文を書いて残しておくのがよいのですが、論文はなかなか書くのには時間がかかり、思ったように残していくのは難しいです。現状では、やったことの2割も書き残せていないのではないでしょうか。労働時間が長くても、成果につながっていないので、問題です。

まず学部4年のときと、修士でやった実験の全ては、残念なことに何も形になっていません。ということで、全ての労働時間は0という成果です。なぜこうなったかというと、実験の一部は、論文という形にまとめたものの、前所属していた先生が、もっとデータをためてから、論文を出すという判断で投稿できなくなって、何にもならなくなったからです。

博士でやった実験は、少しずつ書いて、なんとかわずかながら形にできていっている感じです。でも実験結果を書く時間が足りないので、もっと書く時間を増やす必要がありそうです。

僕の場合、研究の成果の律速は、論文執筆です。昔は、1日あると、ついついそのほとんどの時間を実験に費やしてしまっていました。しかし1日の時間を実験に全て費やすと、実験は進むものの、何も論文という形に残せないことに気がつきます。なぜなら実験の時間が10だとしたら、書くのは同じぐらいの時間の10程度かかるからです。ここで論文執筆にかける時間を増やすと、研究成果がもっと増えるはずです。

僕の逆で、やった実験をうまく書き残せている人もいます。これは労働時間が短くても、成果につながるので、よいケースです。例えば、MITで会った韓国人の留学生は、同世代の優秀なやつで、「やった実験は全部論文にしてあり、論文にする必要がある実験結果はない」と言っていまして、衝撃を受けました。たしかに彼の書いていた論文の質はよく、量も多かったです。

よく論文を出している研究者は、当然ですが、1日に占める論文を書く時間が長いように見えます。移動中に書いたり、自宅でも書いたり、ミーティング中!にも書いたりしているようです。実際、よく論文を執筆していた先輩は、実験はほとんどしていないようにすら見えました。そのぐらいでいく方が、成果の観点から見ると、幸せになれそうです。

そんなこんなで、このままでは何もやっていないことになってしまうという危機感を覚え、ようやく最近では書くことに重心を移し始めました。研究室に行かず、自宅で執筆するのも、集中できてよいものです。

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