2011年6月1日水曜日

Tons of Requests

朝から依頼事項をこなしていく.学科の交流会係になっている関係で,午前中は講演会の準備をし,その講演会を聴講した.あっという間に12:30になった.

午後は13:00から授業で実験を担当した.15:00に帰ってきて,学生の研究報告に返信をする.メールを受信すると,大学の事務から調査依頼や要回答のメールが4, 5通届いていた.それに地道に返信する.

夕方,午後6時から20分だけ,運動してきた.運動しているとき,それはいつも自分の時間で,他人に支配されていない感じがする.

夜は実家の家族が来たいというので,午後7時に自宅に帰ってきた.少し部屋の掃除をして,迎え入れる準備をした.

それぞれの作業に面白みはあるので,その点では不満はないが,今日は研究職よりも事務職や教育職といった感じの日だった.

2011年5月31日火曜日

学会発表の原稿準備で見た光明

本日、学会発表で提出する原稿(A4で6ページ)の締切だった。自分と一緒に研究を進めた学生の発表である。もちろん興味があるので、教える自分にも熱が入っていた。学生が持ってくる原稿に、訂正に訂正を重ねた。僕は物腰が柔らかなので、すぐにOKを出すと周りの人には思れがちだ。しかし実際には、研究で要求するレベルはかなり高い。

そんな僕を相手に、学生たちも最後まで頑張ってくれたと思う。学生が同じ質だとしても、スタッフ側の要求レベルが高ければ、学生も頑張ってくれることも多い。スタッフが手抜きだと、学生もだらけることが多い。お互いのやる気は相関があるようだ。いい成果を出したければ、自分のモチベーションを高くして、チェック機構を厳しくする必要がある。これが教員になってこの一年で学んだことのひとつ。

教育効果を考えて、指摘した点を一つ一つ直してもらった。何回指摘されても、くらいついて直してるところは評価できた。 自分が直した方が早く質が上がるのを、ぐっと我慢して修正してもらうのは、骨が折れる。でも研究の質も学生のレベルも上がっていると実感した。

苦労した甲斐もあり、学術論文にできるようなデータが産まれそうな胎動を感じた。これを続けていけば、きちんと研究成果になりそうだ。一年経って、ようやく研究者として世界と戦えるレベルにいけそうな気がしてきた。それまではあまりにも研究が進まず、もうこのまま進まないのかと思って、自信をなくしかけていた。ところが仕事の進め方を学び、なんとか光明がみえてきたのである。

2011年5月29日日曜日

朝から家事をすませていく

平日は疲れていて、家事をする気がほとんどしない。 休日は仕事の負荷が少なく、その分家事をやる気になる。朝から溜まった食器や洗濯物を片付けを始めた。

食器は普通に片付けられると思っていたが、今回は伏兵がいた。乾燥させる棚から食器を収納するときに、ステンレスのボールの中に丼ぶりが隠れていて、それが落下して、急須が割れた。急須はAmazonで注文しておいた。スムーズには終わらない。

洗濯物には手こずった。ベランダに服を干して、乾すのを試みて、昼間で待った。しかしずっと雨が降っているせいで乾かなかった。そこで部屋干しにして、エアコンの除湿を使って湿度を下げ、さらに扇風機を当てて、水が蒸発しやすい環境を整えた。これで数時間放置すると、服に含まれる水は明らかに減ったが、わずかの湿り気は残っていた。完全に乾燥させるのは難しそうだから、諦めて服を畳んで収納することにした。BDレコーダーに録画した番組を見ながら、シャツは5枚分にアイロンをかけた。アイロンがけはとくに問題なく、終わった。

家事とはいえ、ノーミスで完璧にこなすことは難しい。まだまだ精進が必要である。

2011年5月27日金曜日

久しぶりの更新

凄惨な地震の後,何か適切なことを書こうと考えていたが,Blogに呑気に書きつづること自体がはばかられ,何も書けなくなった.しばらく時間が経って,考えがまとまり,身辺も落ち着いてきたので,少しは更新できる.3月13日から5月27日の間,色々気がついた点を冷静な視点で書いていけば,益するところもあると思う.

2011年3月13日日曜日

学会を運営してきたのは凄いという話

ここ数日は学会の庶務として働いている.日曜日の今日も,学会の仕事をしている.学会は研究発表の会である.庶務というのは,学会運営に関わる仕事は何でもやる雑用係である.基本的に学会運営はボランティアなので,休日に働いても一円ももらえず,代休もない.自分の場合は,会員でない学会なのに,巻き込まれて強制的に参加することになった.くどいようだが,やりたいと自分で手を挙げていない.

今日のメインの仕事は弁当の手配であった.突如,問題になったのは,参加者が弁当の未持参が明らかになったこと.なぜか連絡ミスで,『弁当の持参』がアナウンスされておらず,参加者は大学に弁当を持ってこなかった.大学の購買と食堂は日曜日休みなので,うちの大学に来るときは,準備が必須なのである.そこで急遽今日の午前10時になって,弁当を準備してもらうことになった.
 
弁当業者の人に500円の弁当を60個12時に持ってきてもらい,販売まで依頼した.私が机も準備して,ポップも配置した.売り残るといけないので,私も販売の呼び込みもやっていた.これはやっても,全部ボランティア.自分の懐には,1円も入らない.これ連絡ミスの人が悪いはずだけど,世話をかけた自分にお詫びにきた試しがない.

さらに面倒くさいのが,私が同じ業者に頼んだスタッフ用1,000円の弁当についての論評である.販売した500円弁当の2倍量がないと言い出したことだった.無理を言って,業者に頭を下げて持ってきてもらったあげくに,文句があると不快である.自分でアイデアを出すなり,手配すればいいのだ.

学会の運営はやっても,やった分は報われない.しかし自分は仕事を断れない位置にいる.モチベーションを保つのは困難だ.このような状況を鑑みて,学会が長年運営されてきたのは凄いと思う.

2011年2月19日土曜日

お金がなかったとき泊まった宿のこと

昔の写真を見ていたら、5年前の写真が出てきた。約5年前、修士学生だった私は愛知に住んでいた。その次の年から、博士課程では東京に行くことが決まっており、アパートを探す必要があった。東京=名古屋の往復交通費と宿泊費は最低負担しないといけない。ところがお金がなかったので、節約のために南千住の3畳しかない部屋に泊まった。1泊3,000円だった。

写真を見ればわかるように、風呂、トイレは共同。狭くて安いけれど、清潔感があって、悪くなかった。なんだかこの宿に泊まったことを人には公表するのは、はばかられてきた。節約しているときの恥ずかしさがある。

さすがにこのグレードの宿に泊まったのは、最初で最後。これ以降はこのような狭小宿には泊まっていない。ただ東京 世田谷でひとり暮らしの友達の家に泊まったときは、この宿に負けじ劣らじ狭かった。

飛び込み営業を断ること

食堂で昼ご飯を食べて居室の近くに戻ると、女の人が居室前の廊下をぐるぐる回っていた。私は何も考えずに自分の部屋の扉を開けた。すると次の瞬間、ノックする音がした。さっき回っていた女の人だった。

名刺を渡され、自己紹介が始まった。保険会社の飛び込み営業だった。色々どんな保険・年金に入っているか聞いてきたが、話の腰を折り、1分以内に断った。

だらだら引き伸ばしたあげくに断るのは、お互い不幸になるので、早めにNoと言うのが重要だ。相手が話すのを聞かずにドアを閉めるという、無礼も働かないといけない。普段は相手の話をきちんと聞くポリシーがあるけど、そんな私でも冷徹に断るようになれた。営業に対しては。

昔はちゃんと飛び込み営業の話を聞いていた。初めて保険の営業の人が来たとき、きちんと話を聞いて、家族構成などのアンケートに答えて、保険のプランの説明を聞いたあと、断ることにした。けれどこれにかけた時間的な犠牲は多かった。そこから教訓を学ぶことにした。自分が悪い人間になり断る。最初は難しい。でも一回割り切ると簡単だ。

いい人でいるという戦略はいつも取れるわけではない。それを悪用しようとする人がいる限り。
 
Copyright 2009 Life After MIT のんほい生活. Powered by Blogger Blogger Templates create by Deluxe Templates. WP by Masterplan