2010年3月20日土曜日

ぎっくり腰の顛末記(2)入院1日目 病院で寝て起きるまで

前回は救急車に乗って病院に運ばれるまでを書いた。今回は病院で寝て起きるまでを書く。

およそ夜の12時ぐらい、ストレッチャーに乗って、救急車を降りて、病院の前に着いた。入院するときは、いつもと違って、自分がどこにいて、どこに向かっているのか、状況が把握できなくなる。腰が持ち上がらず、周りの景色が見えないので、どこに着いたのか全く見当が付かなかった。

病院の外では、看護婦と当直の医師が出迎えた。直ぐにレントゲン室に運ばれ、骨の様子を見ることになった。このときレントゲンの撮影台に上るにも一苦労で、寝返りをうつときも痛みが走った。腰の正面と横から、1枚ずつレントゲンを撮った。撮影画像によると、骨には異常がないとのことだった。当直の医師は整形外科の専門医ではないため、詳しい診断はできないとのことだった。

レントゲン後は、再度ストレッチャーに乗って、病院のベッドに運びこまれ、人生初の入院となった。ここでも場所の状況が把握できなかった。起き上がって見通せず、何階の何号室にいて、どのような部屋であるかも、分からなかった。またベッドはカーテンで仕切られているので、隣にどんな人がいるのかも分からなかった。普段は分かるまで調べるのだが、今回ばかりは諦めた。

ベッドに寝た状態で、看護師にナースコール、部屋の電気、テレビの使い方、イヤホンの付け方や尿瓶の使い方を教えてもらった。ナースコールはベッド横のボタンを押すとできる。部屋の電気はスタンドと蛍光灯の2箇所、ON/OFFできる。テレビは添え付けのリモコンを使用する。テレビの音はイヤホンからしか出ない。尿意を催したときは尿器を使うこと、などが分かった。

最後に1日の尿と便の回数を詳しく聞かれた。また最後にトイレに行った時間も尋ねられた。これが後々重要になってくるとは、その時点では気がつかなかった。そして看護師は去っていった。

身体は死んでいるが、頭は動いており、何かやろうと試みた。しかし部屋は真っ暗、かつ隣の人も寝ているようで、1時には寝ることにした。

そこで寝付いたものの、午前3時、5時、6時には目が覚めた。なぜならその時間に、隣のおじいちゃんたち(声でおじいちゃんたちだと分かった)のベッドシーツやおむつを交換するために、看護師たちがドタバタ動き回っていたからだ。個室でなくて、多人数部屋だと、こういう気苦労があることに初めて気がついた。

起き上がってトイレに行けないので、途中、尿器を初めて使うこととなった。これは僕には向いていない。普段の姿勢でないのが一因と、完全な個室でないのがもう一因だ。尿器に関しては、看護婦が巡回して、内容量を確かめて、交換に回る。毎回、量と回数がチェックされて、表が作成される。これらの確認が定量的にされるのが、かなりのプレッシャーとなった。

そして朝7時を迎えた。
続く

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