2009年5月20日水曜日

手書きの履歴書をやめよう

日本には、履歴書は手書きであるべきで、一文字も間違えずに書く、誤字を修正液で直すのは許されないという慣習がある。手書きの履歴書は、本人の『やる気』や『人柄』を表すものだから、手書きにする必要があるそうだ。

手書きにする理由は、以下の理由と信じられている。
  1. 手書きでない履歴書は、やる気がないことの表れである。印刷という簡単に作れる方法に流れるのは、まさにそれを示している。
  2. 字が丁寧なのは、しっかりした性格を表している。印刷したものでは、それが分からない。
  3. 修正液で履歴書の誤字を直す人は、真剣に働く気がない。間違えたら、一から書き直して当然である。
まあそれはそうだが、個人的には時間の無駄だと思う。プレゼンのときに、現代はPCの画面をスクリーンに投影できるのに、未だにOHPのフィルムを使って発表をするぐらいの時代遅れ感がある。

手書きでなくても、以上の3点は判別できる。やる気を示すのも、もっと適切な方法がある。業務に必要な資格の取得や勉強をしているかどうかで、評価できる。また決まった形式に乗っ取って書類を作成できるだけでも、しっかりした性格だと言える。真剣に働く気があるかどうかは、履歴書だけでは、分かるまい。だからやる気を問うために、面接をするわけだ。

手書きでなくて、印刷した履歴書のメリットとして、以下がある。
  1. 印刷した履歴書の方が、手書きよりも読みやすい。
  2. 履歴書の中身に重点的に時間が使える。
  3. 応募者の時間の節約になり、勉強に時間を回せる。

ちなみに研究室にいる外国人が言うには、韓国、アメリカ、フランス、トルコでは、手書きの履歴書は使わないそうである。PCでつくったものを印刷して提出するそうだ。(韓国は、日本と同じく、手書きだと思ってたから、意外だった)手書きで、かつ一文字も間違えてはいけないというプレッシャーは、国際的に見ると、かなり異様なんだなって思う。 「手書きで、しかも間違えないこと」に意味があるのか?って、何回も聞かれた。

手書きじゃなくても、うまくやっている国がある以上、印刷の履歴書で人物を見ることは可能である。手書きをやめて、違うことにエネルギーを費やした方が有意義ではないだろうか。「PCで作製した履歴書も可」、と応募書類のところに書いて欲しい。 しかし何十年後にしか変わらないかなあ。

2 コメント:

ルミコ さんのコメント...

某省庁に勤務する職員から聴いた話によると、その省庁では、各都道府県にFAX送信をする際、1枚の送付状をつけて一斉送信するのではなく、「各都道府県担当者宛て」の「手書き」の送付状(つまり47枚)を、逐一作成していたそうです。
指示していた上司曰く「そうしないと、失礼だから」だそうです。
こんなことに、公務員(=税金から給料をもらっている人)としての仕事の時間を割いてもらいたくないと、話を聴いていて思いました。

ところで、ちょっと違う視点の話になりますが、外国の方の書く文字(アルファベットなど)って、あまり綺麗じゃないように感じます。日本人は、習字の文化というものがあるように、「字をいかにきれいに書くか」がその人のひとつの教養レベルを示す、と思われているふしがありますね。
こういったところにも、「手書きがことさらに重要視される」原因があるように思います。

Moemoe さんのコメント...

ルミコさん、

なるほど。その省庁の話は、参考になりました。個人的見解では、公務員の本分は、国民への奉仕なので、あまり関係ない儀式的なものは、削減してもいいかなと思います。本質以外を減らすのが、みなのコストの削減になりそうです。

一方で、商売をやっていて、手書きの礼状を出したりするのは、効果的かもしれませんね。これは余談でした。

「手書きがことさらに重要視される」と僕も思います。習字が小学校、中学、高校の授業にあったり、大人向けのペン習字講座が人気だったりしますしね。アメリカ人に「きみが書いた文字はCalligraphyみたいだね」とよく言われます。日本では、Calligraphyが必須で、深いレベルに浸透していますね。

 
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