2009年2月16日月曜日

ご褒美で頑張って成果を出すトレーニング

フィットネスクラブでほとんど毎日運動しながら、周囲の人間を観察していると、それぞれ2種類の筋力トレーニングに取り組んでいる人がいることに気がつきます。楽なトレーニングをやっている人と、成果を出すためにきついトレーニングをやっている人です。
  • 楽しむ人は、負荷が軽い筋力トレーニングをやっています。満足感はえられますが、負荷が適切に設定されていないので、筋肉はつきにくいです。
  • 筋肉をつけるとか、太らないなどの強い目標がある人は、これ以上できないというぐらい筋肉を限界まで追い込んでいます。またそうすることで、筋肉がつきやすくなります。
ここで議論したいのは、「どちらがいいトレーニングか?」ではありません。なぜ限界まで追い込めるのかを考えてみたいと思います。

僕は限界まで頑張ってトレーニングをする理由は、たくさん食べても、太らないためです。なのできついトレーニングを我慢してでも、できます。筋力トレーニングが好きでないのに関わらずです。このように頑張れる理由は、「我慢せずにたくさん食べられる」「体型が維持できる」というご褒美があるからです。

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さて、ここで「ご褒美があるから頑張る」という関係を一般化していきます。

好きを超えて、成果を出しながら仕事を進めるには、好き以外の異なる要素が必要です。なぜなら単に好きなだけなら、さきほど述べたように、自分が楽しめる範囲内でやめてしまって、それ以上、やる気がしないからです。

好き以外に必要な要素は、ご褒美ではないでしょうか。 (ご褒美以外にもペナルティで無理矢理動かす方法がありますが、真のやる気にはつながらないので、ここではあまり考えません)

ご褒美があるから、「やる気が出る脳内物質」が分泌されて、好きを超えて頑張れるのだと思います。もしご褒美がなければ、今やっている活動に意味が見いだせず、楽しめる範囲以上には、進めないのではないでしょうか。

好きの壁を乗り越えて、嫌いなことをやりつつ成果を出すには、単に頑張れというよりも、その人に分かるご褒美を提示するのが合理的です。おそらく、頑張れないのは、ご褒美の有無という構造の問題です。

そして何がご褒美になるかを、僕の場合から考えると、直感的につかめるものが、強烈なご褒美になりえます。しかし論理的に考えた上で理解するものは、弱いご褒美にしかならないようです。また有形のお金などに限らず、無形のもの、すなわち賞賛されたりすることも、ご褒美と感じます。

頑張りたいのに、頑張れないのは、ご褒美がない、もしくはご褒美が少ない構造になっているのでは?と疑った方がよいです。ご褒美がもらえる構造になれば、もう少し頑張れるようになるはずです。

それでも、数年やってみても、頑張った結果得られるものが、ご褒美に思えず、やる気がでない場合もあるはずです。その場合は、そこで我慢して頑張らずに、ご褒美がもらえる分野に変更するのが、充実した人生を過ごすには、よい戦略のように見えます。

2 コメント:

ittadao さんのコメント...

ご褒美は良い方法だと思います。結局飴と鞭なんでしょうけど。

Moemoe さんのコメント...

ittadaoさん、

もっとシンプルな言い方をすると、飴と鞭になるんでしょうね。その人にとって飴になるものを与えないと、人に動いてもらうのは、難しいですね。

 
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